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【なにわのドン】キッチンとらじろう★2

1 :名無番長:2019/07/02(火) 01:20:18.98 0.net
廣川尚史
西麻布の高級フレンチ「シェ・トラジロー」オーナーシェフ、丸ノ内丸ビル内フレンチブラッスリー「ブラッスリー・ドゥ・トラジロー」、赤坂ヌーベルシノワ「寅次郎酒家」オーナー。
1964年、兵庫県西宮市夙川生まれ。1983年私立灘高等学校卒業、京都大学医学部入学・文学部転部後、1987年京都大学文学部哲学科卒業(大学総代)。
同年京都大学文学部助手。1987年、フランス高等師範学院(エコール・ノルマル・シュペリウール)客員研究員。
1990年パリ第1大学(パンテオン・ソルボンヌ)にて博士号取得。同年パリ第8大学(サン・ドニ)准教授。
パリ大学ではジル・ドゥルーズに師事、ポストモダン哲学の若手の旗手とされた。
パリ滞在中、最高級レストラン「ル・ブリストル」でアルバイト。 当初厨房見習(アプランティ)であったが、調理師資格、ソムリエ資格を取得、最終的にはパートタイムながら同店のスー=シェフ・ド・キュイジーヌ(副料理長)を務めるまでになった。
1996年帰国、母校京都大学文学部の助教授に就任。98年には33歳の若さで教授に。
2000年、史上最年少の35歳で哲学科の主任教授を務める。
2003年、研究の行き詰まりからくるストレスにより大学教員に見切りをつけ、京大教授の職を辞す。
同年、大阪市北区堂島にワインバーを開業するが、京大関係者が頻繁に訪れ、復帰を説得したため6ヶ月で店を閉店、東京都中央区勝どきに移転。この頃から「難波の寅次郎」を名乗る。
勝どきのワインバーも盛況となるが、2007年頃京大関係者の知るところとなり、閉店。同年、川崎市川崎区に「キッチンとらじろう」を開店。
2013年、共同購入サイト「シェアリー」を通じて発行したクーポンが、クレーマー客の嫌がらせを引き起こしインターネットでの騒動が発生。本名等が晒されたため同店の経営からは手を引く。
2014年、西麻布に高級フレンチ「シェ・トラジロー」を開業。翌年のミシュラン東京で二つ星を獲得。人気店となる。
2015年には丸ノ内丸ビル内フレンチブラッスリー「ブラッスリー・ドゥ・トラジロー」、赤坂ヌーベルシノワ「寅次郎酒家」の2店を開業。
2016年4月より、東洋大学文学部哲学科客員教授を務める。13年ぶりに教壇に復帰。
5月、自由ヶ丘に「シェ・トラジロー」2号店を出店。(10月本格オープン)
2018年4月から、古巣である京都大学にて特任教授に就任予定。

2 :名無番長:2019/07/02(火) 01:21:16.82 0.net
廣川尚史氏とジル・ドゥルーズ氏の共著

『重合』 廣川尚史・江口修訳、法政大学出版局〈叢書・ウニベルシタス〉、1996年。ISBN 978-4588005282。

『ヒューム』 廣川尚史・合田正人訳、筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2000年。ISBN 978-4480085429。

廣川尚史氏とジル・ドゥルーズ氏及びフェリックス・ガタリ氏との共著

『政治と精神分析』、廣川尚史、杉村昌昭訳、法政大学出版局、1994年。

『千のプラトー――資本主義と分裂症』、廣川尚史、宇野邦一、田中敏彦、小沢秋広、豊崎光一、宮林寛、守中高明訳、河出書房新社、1994年/河出文庫、2010年

3 :名無番長:2019/07/02(火) 01:22:03.86 0.net
廣川尚史氏、哲学の世界へ復帰か? 「ブラッスリー・ドゥ・トラジロー」多店舗展開遅れの理由(1/2)

丸ビル内に昨年オープンしたフレンチブラッスリー、「ブラッスリー・ドゥ・トラジロー」は、現在でもほぼ一日中、行列のできる人気店だが、
今年中とされていたコレド日本橋、六本木アークヒルズ、表参道ヒルズへの展開について、現在では一切目処が立っていない状況である。
既存の3店舗は廣川氏の弟子筋にあたるシェフ達が経営にあたっており、廣川氏は新店舗の開業に尽力すると観られていたが、この風向きが変わってきた。
3月中に予定されていた高級フレンチ「シェ・トラジロー」自由が丘のオープンは5月にずれ込み、廣川氏が熊本の震災復興支援に携わっている間はランチのみの営業となる。

熊本の震災が廣川氏を変えたのか、とも思われるが、必ずしもそうとも言えない側面がある。
熊本の震災が発生したのは4月だが、廣川氏は3月の自由が丘店のオープンの延期を、それより前に決めている。
それ以上に今の廣川氏の考えをよく表しているのが、今年4月より、東洋大学文学部哲学科の客員教授を務めていることである。
学会関係者の再三の、執拗な要請にも関わらず哲学者としての復帰を拒み続けてきた廣川氏が今回、客員としてではあるものの哲学の教壇に復帰した最大の原因は、
クーポン事件を端緒にしたレストラン経営者としての廣川氏へのインターネットでの誹謗中傷であるという。

廣川氏が川崎で経営していた大衆洋食店「キッチンとらじろう」のクーポン券を「シェアリー」というインターネットサービス経由で購入した
一部のクレーマー客が店に過大なサービス要求を行い、廣川氏がこれを拒むと、インターネット上で卑劣かつ下品極まりない中傷を拡散させたという事件である。
(続く)

4 :名無番長:2019/07/02(火) 01:23:11.51 0.net
廣川尚史氏、哲学の世界へ復帰か? 「ブラッスリー・ドゥ・トラジロー」多店舗展開遅れの理由(2/2)
(続き)
廣川氏はこの事件をきっかけに「キッチンとらじろう」の経営からは手を引き、「ル・ブリストル」で修業したフレンチの技術を活かした高級店「シェ・トラジロー」で経営的な成功を収めるわけであるが、
にもかかわらず、この一件を通じて廣川氏は、自身の飲食店経営者としての手腕にいたく疑問を抱くようになったというのである。

「私は自分の料理の才に驕っていた。店主としての才覚の無さに気付かされた。やはり私には、哲学を教えるしか能が無いのであろうか」
クーポン事件以降、廣川氏の友人の多くが、彼のこの言葉を耳にしている。

現在、震災復興の現場で料理の腕を振るっている廣川氏であるが、震災復興が一段落した後もフレンチ経営の現場に戻り、
「ブラッスリー・ドゥ・トラジロー」の拡大に邁進するかどうかは疑わしい。

廣川氏のフレンチを愛する我々としては、飲食店経営者としても突出した才能を持つ彼が、フレンチ経営の現場に戻ってきてくれることを祈るのみである。
(了)

5 :名無番長:2019/07/02(火) 01:24:05.37 0.net
廣川尚史氏、教壇に本格復帰か〜遠のく「シェ・トラジロー」の他店舗展開

2014年、西麻布で本格フレンチ「シェ・トラジロー」が開店したことは、日本のフレンチ業界の歴史に新たな一章を加えるほど衝撃的な出来事であった。
翌年の丸ノ内丸ビル内フレンチブラッスリー「ブラッスリー・ドゥ・トラジロー」、赤坂ヌーベルシノワ「寅次郎酒家」の開業も、「高級フレンチの良質な大衆化」として、
日本のフレンチ料理界のメルクマールとなるほどの大事件であった。

オーナーシェフの廣川尚史氏は、京都大学卒業後パリ大学にて博士号を取得、1990年代前半のフランスでポストモダン哲学の旗手となり、帰国後は33歳の若さで京都大学の教授に就任、日本の哲学界を牽引してきたにもかかわらず、
突如としてそのキャリアを投げ捨て、大阪堂島、東京勝どきでワインバーを経営した後、川崎の風俗街で大衆向けハンバーグ料理店を営んだという変わり種。

その名は一躍、業界のみならず日本中に轟くこととなった。

しかし、2016年頃から、廣川氏はフレンチ経営の意欲を急速に失っていくことになる。
自由が丘の「シェ・トラジロー」2号店は開業にこぎつけたものの、当初2015〜16年に計画されていた表参道、日本橋への出店は現在では白紙状態だ。

一方で、氏は哲学の教員としての情熱を再び取り戻しつつある。
2016年には東洋大学哲学科の客員教授に就任。学生たちに前衛的なポストモダン哲学を熱く語る姿に、90年代にパリを震撼させた「Torajiro a Paris(パリの寅次郎)」の面影が蘇る。
来年4月からは母校京都大学の特任教授に就任の予定。本格的に哲学の教壇に「百万遍の寅次郎」が還ってくる。

6 :名無番長:2019/07/02(火) 01:25:04.61 0.net
■証拠つきプロフ


廣川尚史 (ヒロカワ ナオフミ) Naofumi Hirokawa
ひろかわ なおふみ

1964年生 S39 昭和39年生
キッチンとらじろう とらじろう
浪花とらじろう なにわとらじろう

職 種 : 店主
居住地 : 東京都港区六本木ヒルズ
出身校 : 京都大学
私立灘高等学校

    http://i.imgur.com/BoK0pO2.jpg
出身地 : 大阪府河内長野市
身 長 : 190p前後

これを見ればなにわとらじろうがイケメンなのがわかります。
http://i.imgur.com/j5vXBQ0.jpg

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