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【芸能】島田紳助がM-1創設した理由は「漫才師がやめるきっかけ作るため」
- 1 :湛然 ★:2019/10/12(土) 05:27:24.46 ID:sxCsnZ8Z9.net
- 10/11(金) 16:31 SmartFLASH
島田紳助がM-1創設した理由は「漫才師がやめるきっかけ作るため」
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10月8日放送の『アッパレやってまーす!』(MBSラジオ)で、スピードワゴンの小沢一敬が、『M-1グランプリ』が創設された理由について語った。
先日の『キングオブコント』を振り返り、小沢は「終わった後に、出場してる子たちとご飯に行くと、みんな楽しそうにしゃべってんのよ。『いいなぁ』って。俺たち、年とっちまったな」と回想。
東京ダイナマイトの松田大輔は、『M-1グランプリ』を振り返り、「僕が2004年に決勝に行ったとき、小沢さん、電話してくれて。熱かったですもんね、あのときね」と、芸人同士の絆が深まるイベントだと証言。
ニューヨークの屋敷裕政は「甲子園。青春みたいな感じのところもありますもんね。残酷な部分もめっちゃあるし。やめる人もいますしね、その結果で」と指摘した。
その話に、小沢は「立ち上げたのはそれが理由なんでしょ。漫才師って、辞めるきっかけがないじゃん。ひょっとしたらいつか売れるかも、って。だけど、やめるきっかけを作ってやるために『M-1』作ったって言ってたもんね」と語った。
松田が「(島田)紳助さんが」とフォローすると、小沢は「俺は名前を出さないようにしたけど、言ってもいいんだよね」と笑顔で話していた。
自身の「漫才への感謝」とともに、「若手漫才師がやめるきっかけ」を込めて、2001年に島田が大会委員長としてスタートした『M-1』。
10年目の第10回大会(2010年)でいったん区切りを打ち、島田は決勝後の会見で、「たくさんのスターが育ってくれた。僕のなかでは漫才に対する申し訳ないという気持ちがあったので、この大会をやりたいと(言った)。そして演じる人が納得して帰れるものを作りたいと思ってきた」と充実感をにじませた。
大会では毎回、審査員の採点方法も問われるが、島田は「点数が公表されるということは審査員のセンスも問われるし、審査員が審査されている」とシビアな現実があることを明かしていた。
その後、2015年に復活し、昨年まで14回開催され、歴代優勝者は、初代王者の中川家以降、ますだおかだ、フットボールアワー、アンタッチャブル、ブラックマヨネーズ、チュートリアル、サンドウィッチマン、NON STYLE、パンクブーブー、笑い飯、トレンディエンジェル、銀シャリ、とろサーモン、霜降り明星となっている。
(以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
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