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【2019年いだてん】奥様が語る大河ドラマ総合スレpart27

23 :可愛い奥様:2019/07/29(月) 12:21:56.18 ID:qNQvQgSF0.net
高橋是清を相手に啖呵をきる
 田畑の行動力を示す逸話がある。

 1928年開催のアムステルダムオリンピックで、日本政府は初めてオリンピックへの補助金を支出することとなる。この補助金を取り付けたのが田畑だったのだ。
1964年の東京オリンピック開会式で入場行進する日本選手団
https://bunshun.ismcdn.jp/mwimgs/f/5/1500wm/img_f5370db99f59091a32ca6745dde7a40d1137345.jpg

「立憲政友会を担当していた田畑は、後の首相・鳩山一郎に目をかけられていました。その鳩山を通して、大蔵大臣であった高橋是清に直談判をします。(中略)高橋は、こう問うたといいます。

『自分はオリンピックのことなど知らぬが、それはお国のため、役に立つことか』

 まだ入社数年目だった田畑は『そりゃ、若い者の励みになるから、おおいに役立つことであります』と大臣を相手に啖呵をきり、補助金をとりつけることに成功しました」(訓覇氏)

 政治部記者の肩書きも、意外と役に立ったようだ。

「自分が政治家になってしまおう」
 終戦の年、焼け野原となった東京で日本水泳連盟の理事長に就任した田畑は、〈民心に新しい息吹を注入するにはオリンピックしかない〉と、東京招致を夢見るようになる。

 その具体的な招致活動について、訓覇氏が秘話を明かす。

「当時、招致段階では補助金は出ず、莫大な資金が必要だったはずです。今回調べて分かったのですが、田畑は裕福だった実家に金の無心をし、両親はどんどん土地を手放していったようです。

 さらに、彼は浜松の選挙区から国政選挙にも出ています。政治が金を出さないのなら、自分が政治家になってしまおうと考えたのでしょう。
公示前は当選が確実視されていたのですが、実際に演説に立つと東京オリンピックの話しかしなかった。
浜松とは一切関係ないですし、口ベタなので内容もほとんど通じません(笑)。結局は落選、笑い話になってしまいました」

 その後見事に東京招致を実現させた田畑だが、1962年、東京五輪組織委員会の事務総長を辞任することを余儀なくされる。それは、ある失言が原因だった――。
(続)
https://bunshun.jp/articles/-/12973

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