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都内の社会人ピアノサークルについて語ろう3

4 :ギコ踏んじゃった:2019/06/18(火) 21:15:05.71 ID:5cfyEm+t.net
>>2
この本来の意味とは異なる「秘密会」
この、いわゆる秘密会を禁止することに対して、以下のような筋道で反論が上がった

サークル構成員の固定はコンテンツのマンネリ化を来し、ときにサークルの早期瓦解につながる。その点、人が入っては出ていくサークルは実に魅力的だ。
常に新しい風が吹き込み、そして吹き抜けていく。そしてその魅力に惹かれ新規会員がさらにやってくるという好循環を生み出している。「風通しがいいサークル」とは実にうまく言ったものだ。

こうした背景を踏まえて、以前から当スレッドで指摘されている「なぜ秘密会はなくならないのか」という問いを主題1とし、本稿以降で考察したい。
多くの社会人は小学校・中学校・大学・塾・部活動・サークル・PTA・老人クラブなど、その成長の過程において多様な社会的集団に所属すると考えられる。
では、人は各所属の中でその集団のどれくらいの割合と親しい交友関係を構築できるのか。

例えば30人の集団であれば人によっては一人きり、あるいは2,3人、多くとも10人程度ではないだろうか。
「小学校は1クラス30人、全員友達で広くオープンに付き合ってました。」
「中学校・高校も同様、部活・塾でも全員が仲間で分け隔てはありません、当然恋人もいません」
「大学では、会社では・・・(略」
このような人物像を想像し難いのは言うまでもないことだろう。
放課後に友達の家に遊びに行く。塾の帰りに親しい友人とコンビニで買い食いをする。クラスの好きな子に告白して交際する。ゼミの仲間と卒業旅行に行く。これらは人が育つ過程において「ごく当たり前に行われている」事象である。
一般的に人は集団の中で自らと親和性の高い対象を抽出し小さなサブグループを構成して親しく付き合う性質がある。そうした性質の中で大多数の人とうまく関係を構築できない人は確かに存在し、逆に大多数の人うまくやれる人も確かに存在する。
しかし、絶対に存在しないのが「所属する集団の誰にも重みづけをせず全く均等に付き合う」という人だ。
主題1「なぜ秘密会はなくならないのか」
の解として、短絡的には「社会的生物である人は秘密会を求めるのがその性質であるから」と落ち着けたくなる衝動に駆られるが、徒に人という生物の性質に発散させず主題1のより特異性の高い解を目指し補題を設定する。
補題A{秘密会を行わず、相性のよい人ときままに付き合うことが可能か?}
補題B{秘密会のないサークルは快適か?}
補題C{秘密会はサークル運営に悪影響を及ぼすか?}
補題D{男女のサークル外での逢瀬は秘密会に該当するか?}

上4補題を考察することで主題により特異的な解を与えたいと思う。


主題2「秘密会に関する内規を明確にしないまま入会した者に内規違反のかどで懲罰を与えることの是非」
に関しても興味深いので別途考察したいと思う。

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